●かつお節の歴史
かつお節の概要
かつお節とは、かつおを煮た後、堅木(かたぎ)を燃やして、煙でいぶし、その温度で、あぶり焼き、 日光などで乾かした後、さらに、アオカビを付けて、味をととのえた物。 【煙で、あぶることを焙乾法(ばいかんほう)といいます】かつお節の起こり
奈良時代:食べ物を乾燥させる為に、考え出された方法として、 干物(ひもの)があり、この中の、一つとして、魚の肉を切って干したものが、 乾魚(ほしうお)です。時代経過
平安時代:生のかつおを切って、天日に乾かしたものを、堅魚(かたうお)
、(かつお)と呼んでいたようです。又、煮込んで干したものを煮堅魚と、呼んで、区別していたようです。
鎌倉時代:携帯に便利な為、武士の間では、煮堅魚や、堅魚を持ち歩き、
食べていたようです。
室町時代:かつおを煮込んで、火であぶり、さらに乾かしたものが、
この頃から始まったようで、この頃から、「かつお節」と呼ぶようになったようです。
【火でいぶし、あぶる方法は、南の島、琉球から伝わったとも考えらます】
江戸時代初め:各地には、いろいろな製造方法があり、その土地の中で、
秘密とされていたようです。特に、土佐、薩摩、阿波、伊勢のものが有名でした。
この頃のかつお節は、カビの匂いが少しあり、このカビを改良したものが、土佐式の燻乾法(くんかんほう)
だったようです。土佐式のものは、カビを付けることによって、カビを防ぐ方式です。
【燻乾法=かつおを煮た後、煙でいぶして、さらに乾かしたもの】
江戸時代中期:カビの発生を改良した、土佐、薩摩の、かつお節が有名だった
ようです。
江戸時代後期:土佐の与一は、ふるさと紀州(印南)と、
土佐の間をカツオ船で、いききしていた為、紀州印南(きしゅういなみ)の熊野節と、
土佐の土佐節の作り方を知っていました。与一は、秘法を漏らした為か、ふるさと紀州を
離れ、今の千葉県南部の房州(ぼうしゅう)にたどり着き、その地で、土佐節と、
熊野節の作り方を教え、さらに、伊豆の地でも、かつお節の作り方を
指導していたようです。与一の功績により、鰹節の作り方は、全国に広まっていったようです。
【たぶん与一は、紀州の秘法を、土佐に漏らしたため、紀州を追い出されたと考えられます】
参考文献:鰹節(宮下章)
かつお節の種類
若節。 荒節。 裸節。 上枯節。 本枯節。 種類の詳細主な栄養素
ビタミンB12、ナイアシン。詳しくは、 かつお節の栄養素を参照してください。また、うまみ成分として、アミノ酸の一種、イノシン酸が、あります。