●海苔(のり)の歴史
海苔の概要
海の中の岩などに、ついて生きている、コケ状の植物を加工したもの。 原料の、のりには、紅藻(こうそう)、緑藻(りょくそう)など、たくさんの 種類があり、海で取れたのりは、四角く薄い紙のようにして、固め、 乾かした後、火であぶって、食べるものが最も多い(焼きのり)。 海に囲まれた日本では、のりは、長い間、食べられてきたようです。海苔の起こり
縄文〜弥生時代に、各地の海岸では、岩につく、のりを食べていた可能性が強いようです。時代経過
飛鳥時代初め:この頃から既に、のりを平たくして、
干したものが作られていたようです(展延法:うすく広げること)。
飛鳥時代:紫菜(むらさきのり)又は、神仙菜(あまのり)などと
呼ばれ、海岸の岩などから取り、主には、生で食べたり、吸い物や、酢の物にして
食べられていたと考えられます。
鎌倉時代:紫菜(むらさきのり)が、甘海苔(あまのり)と呼ばれる
ようになる。
室町時代:精進料理に用いられ、のりを紙のように薄く干した
ものが、作り始められる。この頃から、のりを焼くようになったようです。
江戸時代初め:江戸では、浅草で取れるのりが有名に
なっていた(あさくさのり)。
江戸時代中ごろ:岩などで取れたのりを、養殖するようになり、
品質の良いのりを、たくさん取るようになった(ひびだて)。養殖したのりを、たたいて細かくし、
水の中に入れ、よしで作った網状の平らで四角なもので、すくい上げ、四角い紙のようにして、
干したものを作り始めたようです(抄きのり、乾し海苔)。
ひびだて=浅い海に、枝のついた木や竹などを立てて置くことによって、満潮時に、
のりが育ち大きくなる。干潮時にその、ひびについたのりを取りに行く方法。。
江戸時代終り:乾し海苔を焼いたもの、焼き海苔が売り出される。
明治時代初め:味付け海苔が作りはじめられる。
参考文献:海苔の歴史(宮下 章)
海苔の種類
生のり、ほしのり、焼きのり、味付けのり、のり佃煮。(海藻の種類:あまのり=紅藻(こうそう)類、あおのり=緑藻(りょくそう)類、 すいぜんじのり=藍藻(らんそう)類。)
主な栄養素
海苔には、ビタミンB12、葉酸、ビタミンAが含まれる。焼き海苔、